孤立型アスペルガー症候群(ASD)という名称についての当事者からの見解
孤立型アスペルガー症候群という名称について当事者として考察したいと思います。
孤立型アスペルガー症候群ASDという名称について
孤立型アスペルガー症候群当事者の私の感覚的な意見ですが、孤立型より孤高型の方がうまくその特徴を表現できると感じます。
孤立してしまってるのではなく孤高であることを選んでいるというニュアンスの方がより正確だと私には思えます。
少し無理をして他人に合わせれば孤立状態も解消するがそのような事はしたくないと思い孤立状態を選んでいると言えます。
あの人は孤立している。だと周りから浮いていて溶け込めず孤立してしまっているという印象を受けます。(受動的に孤立している)
あの人は孤高だ。と言うと自ら敢えて周りに溶け込まずに一人でいることを選んでいるというニュアンスになると思います。(能動的に孤立している)
本人は一人でいることを寂しいと思っていないのでそういう点でも孤立というより孤高というニュアンスの方が適していると感じます。(ですので他の候補として孤独型というのも考えられますが本人に孤独だという寂しさはないのでこれは適さないと感じます。)
孤立型アスペルガー症候群ASDの心理
しかし孤立型だからといって完全に一人でいたいかと言われるとそこまでではなく、一人でいるほうが気楽という感じでしょうか。
こちらの気が乗っている時は一緒に過ごす人がいるといいと言うような少し自己中心的な感覚を持っています。
孤立型と思われる有名人なども他人とのコミュニケーションを完全に断絶しているという感じではありませんし私もそこまでは思いません。
この部分に関しては自閉傾向がどの程度の強さで現れているのかによるのかとも思われます。
なのであくまで憶測ですがもしかすると自閉症の方は完全に一人でいいやと感じているのかもしれません。
また孤立型は表面的には形だけ他人に合わせることも出来るので孤立してしまうというのは表現としてはズレているように感じます。
他人や社会に合わせようと思えば合わせさられるが合わせるのが面倒、苦痛なので孤高を選んでいるというのが私の感覚です。
孤立型アスペルガー症候群ASDという名称についての意見
もちろんこれだけ浸透してしまった孤立型という名称を今更孤高型に変えることは現実的ではないでしょうが、当事者としては孤高型の方がその実態を的確に表現できると感じます。(あくまで言葉のニュアンスの話なので孤立型という言葉が不適格だとまでは思いませんが孤高型のほうがよりその本質を捉えられると私には思えます。)