アスペルガー症候群(ASD)の合理主義的思考癖とうつ病の関係についての考察
今回はアスペルガー症候群(ASD)の合理主義的思考癖とうつ病の関係について考察していこうと思います。
アスペルガー症候群とうつ病について
ADHD(注意・多動性障害)、アスペルガー症候群や広汎性発達障害(PDD)などの発達障害がある人は、うつ病が合併する確率が比較的高い傾向があります。そのときは、“人間不信的行動”という二次障害としてうつ病を発症する場合が多いです。
私の場合もアスペルガー症候群であることが発覚したきっかけはうつ病になったことでした。
発達障害全般がうつ病になりやすい原因を調べると脳機能的に少数派であることを述べているところが多い印象でした。
これは確かに正しいことだと思います。
少数派であるというだけで多数派と違うことを意識せざるを得ないので、多数派が占める一般社会や常識と合わないというのは当然のことだと思われます。
この論に関しては他の方が十分考察しているように思われたので、私はアスペルガー症候群(特に孤立型)の視点から別の考察をしようと思います。
アスペルガー症候群の合理主義的思考癖とうつ病の関係についての考察
アスペルガー症候群(特に孤立型に顕著)は左脳優位であり合理主義者であることは本サイトで何度も書いていました。
この世界に、人生に合理的に意味を見出そうとするとそんなものはなにもないという結論に至ってしまうと私には思われます。
合理主義者のアスペルガー症候群は生きることに合理的な意味や価値などないじゃないかという虚無主義に陥りやすいのではないかと思います。
人生の意味を合理的に見出そうとする哲学者に精神を病んでいる人が多いのもこのためではないかと私には思えます(そういう私も一時期哲学に興味を持っていたことがありました)。
アスペルガー症候群に熱がない冷めたような性格の人が多いのもこれが関係していると思います。
左脳の合理性や論理性が優位なので冷めた大人を極端にしたようなものだと感じます。
冷めた大人は無邪気な子供を見て「呑気で羨ましいなぁ」と感じるものですがアスペルガー症候群からすると定型発達者に対しても同じような感情を抱くことがあります。
理性的で大人な脳のアスペルガー症候群は子供の無邪気さを羨望しながらそうなれない自分に悩むという傾向があるのではないかと思われます。
アスペルガー症候群と思い込みのルールの手放し
ここからは私のインスピレーションで書くので少し論調が変わります(最近理性の左脳から感性の右脳を使うことにシフトしてきたせいかインスピレーションが湧く事が増えてきました)。
私は買い物を終えて公園の横を通っていました。
そして子どもたちが無邪気に騒いでるのを見ました。
その時に
「もしこれを大人がやっていたらどう思うだろうか?」
「大人なのに何騒いでんだかと思うだろう」
「でもその区別はおかしいのではないか」
「その区別が他人をそして自分を縛り付けているルールじゃないのか」
というインスピレーションが湧いてきました。
そして次に
「もし子供が道で歌いながら歩いてきたとしても何も思わないだろう」
「でも大人が歌いながら歩いてきたら何だこいつはと思うだろう」
「その区別が不必要なんじゃないのか」
次に
「もし道端で知らない子供に馴れ馴れしく話しかけられても特に気にせず対応するだろう」
「でも道端で知らない大人に馴れ馴れしく話しかけられたら何だこいつはと身構えるだろう」
「その区別が不要なんじゃないのか」
というインスピレーションが湧いてきました。
左脳優位で大人で理性的なアスペルガー症候群は自分で作り出した思い込みのルールを手放して子供のようになるのが重要なのだと感じさせるインスピレーションでした(スピリチュアルではよく言われていることですが自分の体験としてわかってきたという感じです)。